ウォーキング 如来寺

旅 日光杉並木物語

もう一つの日光の旅◇ウォーキングin日光★歩きませんか日光路◇

杉並木物語  今市市教育委員会発行「杉並木物語」より

世界遺産の町・日光の旅は旧今市市にある杉並木街道 杉並木は300年に
わたって守られてきたその杉並木にまつわる「杉並木物語」の紹介。
日光杉並木公園とその周辺の
日帰りの
ウォーキング
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「ウォーキングin日光★歩きませんか日光路★」杉並木公園とその周辺杉並木物語如来寺
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如来寺Nyoraizi
東郷町にあり、浄土宗に属する旧中本寺格、一千七百をこえる檀信徒をもつ同宗では県内屈指の寺で、星顕山光明院如来寺と号す。文明年間(1469-1487)、茨城県瓜連の常福寺超誉上人の高弟暁誉上人最勝が開創、境内に天正13年(1585)銘の逆修供養碑がある。

文政(1818一1487)の頃には森友村の来迎寺をはじめ、湯西川村慈光寺・芹沼村高声寺・上町(現春日町)浄泉寺・川俣村西光寺・町谷村東光寺・下町(現小倉町)玄樹院の末寺をもち、境内には本寺をめぐって宝林院・寿仙院・聖衆院・地蔵院などの子院の堂塔があった。

寛永九年(1632)徳川家光が日光社参にあたり、御殿を造営し宿所にあてて滞在し、朱印寺領三十石を寄進された。以後家光は三度宿泊休憩所にあてられたが寛文5年(1665)御殿は残らず寺に下付された。
 寛保2年(1743)と宝暦12年(1763)の二度の火災にあい堂宇や古記録類を焼失した。現在の建造物のうち本堂は明和二年(1765)、大門明和七年、方丈・庫裏が安永八年(1779)など明和以降の再建である。
 現在、平成の大改修が行われている。本寺には徳川歴代将軍の位牌が安置され、安政三年(1856)には報徳役所で没した農政家二宮尊徳の葬儀を営み境内に埋葬し、位牌と膳部を所蔵するほか、庫裏の山被の大柱や車止め地蔵・庚申猿の云い伝えは有名である。
境内の観音堂に安置される聖観世音は下野国三士二ヶ所第四番礼所として香華が絶えない。本寺の管理下にある朝日町回向庵には戊申役の官修墓地と伝日光円蔵の墓がある。

伝説 車止め地蔵
今市市文化財指定の木造地蔵菩薩一⊥像が如来寺に安置され、車止め地蔵と呼ばれています。
昔、源氏の大将頼朝の奥方二位ノ禅尼(北条政子)がある夜、日光山に因縁の地があるという不思議なめでたい夢を神のお告げとさとり、早速使いとして家来の安達藤九郎盛長を遣わし、日光山に身の丈一・七メートルの地蔵さんと悶魔大王・供王神を寄進することにしました。盛長は大勢の武士とともに仏像を車につみ鎌倉をたち、日光山を目指して険しい街道を苦労しながら幾日もかけて、ようやく今市にたどりっきました。いよいよ日光も近いと一同が喜び宿場の中程に差しかかった時のことです。急に車が重く動かなくなり車を這のかたわに寄せて「地蔵さんを安橿するのは、この地をおいて他にない」と心に定め一心に念ずると、不思議にも自由に車が動きますので、中町のこの地に中ノ堂車止め地蔵としてまつりました。
江戸時代になり、日光東照宮が造営され、今市宿は御伝馬駅所となり賑わってきたので、如来寺境内に地蔵院を建て、申町にあった地蔵尊を移し本尊としてまつ
りました。それから百数十年たった宝暦の時代に、町中の民家を焼きつくす大火がありました。このとき寺には坊さんが住んでおらず駆けつけた人たちは燃えさかる火に
手のほどこしようもありませんでしたが、焼け落ちた灰の中に本尊の姿が何事もなかったようにお立ちになっておりました。まことに有り難いことで、そののち地蔵さんと閣魔大王・供王神は如来寺の本堂に安置されることになりました。

如来寺東武下今市駅より三〇〇メートル 徒歩五分

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