ウォーキング 野口薬師堂

旅 日光杉並木物語

もう一つの日光の旅◇ウォーキングin日光★歩きませんか日光路◇

杉並木物語  今市市教育委員会発行「杉並木物語」より

世界遺産の町・日光の旅は旧今市市にある杉並木街道 杉並木は300年に
わたって守られてきたその杉並木にまつわる「杉並木物語」の紹介。
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「ウォーキングin日光★歩きませんか日光路★」杉並木公園とその周辺杉並木物語野口薬師堂
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野口薬師堂

野口の地名の由来について、生岡の北にある野口村の以西は昔、人家がないので野口と名付けられたと『常社建立記』に伝えられている。七里と同様に日光山側からみた野原の入口の意をあらわす地形的につけられた地名と解される。
野口村は江戸時代初期頃まで、大谷川右岸を下る俗に鎌倉街道と呼ばれる旧街道沿いにあったといわれるが、度重なる洪水を避け、寛文のころ整備された新造の日光街道沿いに移り、天保14年(1843)には小字石橋付近の旧街道近くに御番所が設けられている。
天屋の並木道には近年再建された薬師堂がある。その草創は明らかでないが、堂後の老桜と街道に面した大きな石の釣り鐘は行人の興趣をそそった。その昔ここには青雲山蔵寺という寺があったが、資力の乏しい寺のため金属製の釣り鐘を造ることが出来ず、日光廟造営にたずさわった石工に頼んで造らせたものであるという説と、明和5年(1770)村人たちが太郎山の月山大権現に銅の釣り鐘を奉納し、同時に地元の山王権現には石の釣り鐘をおさめたところ、竜頭が鐘の重みで壊れてしまった。村人たちは後難をおそれ、この失敗を口にすることを嫌い、薬師堂に放置されたままにしてあるという伝承もある。
堂脇の円海地蔵には香華が絶えない。寺跡墓地の西にまつられる道祖神について、旧平戸藩主松浦静山が文政四年(1821)から天保にわたり20数年の歳月をかけて記した随筆『甲子夜話』の日光道之記に、小さな神垣の中に男陰の形大小3・4個立ち、三尺大のものもみられたと述べているが、薬師堂裏には女陰石もまつられている。
この村に伝わる弘法の硯水の話を知る人も少なくなった。

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