ウォーキング 日光を歩く(アカシヤのみちコース)

旅 もうひとつの日光(史跡探訪路)

ウォーキングin日光◇歩きませんか日光路

「随想社発行・日光ボランティア編」の”もうひとつの日光を歩く”
にて紹介されている「・・みち」を歩いたレポートです。

歴史と世界遺産の街・日光の隠れた史跡を訪た。ウォーキングのご案内。

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      日光史跡探訪路  アカシヤの咲くみち
日光史跡探訪路
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浄光寺へのみち
憾満のみち
アカシアの咲くみち
・全工程0.7km
・歩行時間 30分   
・花暦 5 月 ヤマブキ 
山の神
狐山稲荷神社
糠塚稲荷神社
大日霎貴碑
産子地蔵尊
英文の愛馬の碑
芭蕉のみち
せせらぎのみち
西町・慈眼堂の道
外山のみち
霧降の道
日光ツーデーウォーク
日光観光協会

憾満のみちの奥にある、庶民信仰の地である。
 憾満ガ淵の駐車場から70向川原町の地蔵菩薩の分岐点を左・「鳴虫山」方面へ向かうと間もなく、道路の右手の小高い丘に両側に庚申塚を従わせた、色あせた赤い鳥居がある。[81 山の神様]。大きなイチイの木(日光の木だそうです)の元に石の祠が2つある。
 中には聖徳太子の御神体と掛け軸が引き継がれているそうです。大谷川の左岸の匠町は、東照宮建立寺には大工や曲が物師などの職人町として賑った。聖徳太子はそうした職人の守り神信仰は全国的にあります。日光という特殊な地域性から山岳信仰と結びついて「山ノ神」信仰が生まれたのだろう。静寂な木立の中に、その昔この地に立ち、手を合わせ、安全を祈願した職人たちの姿が思い浮かびます。
 通る人も少ないこの道路は東京電力日光第一発電所を経由して独標・鳴虫山登山道へのルートである。鳴虫山は何度も登っているが、いつもは憾満ガ淵側なので妙に新鮮さがある(?・・・)ゆっくり登ってゆくと
[80輪王寺一山墓地]の脇と過ぎる。
 憾満のみちとの交差地点するから、間もなく日光宇都宮道路の下をくぐり、東京電力日光第一発電所の横を抜け・・・・・・・・・たのだが、真っ赤な鳥居が立ち並ぶ急な山道・・・・・?がない。あきらめて戻り直進小高い丘に赤い鳥居[83 糠塚稲荷神社]を発見、山間にひっそりと建っている。なにやら伝説めいたものがあるらしいが問い昔の事。戦時中には大谷川に丸太橋が掛けられ対岸との往来が出来、旧二月の祭礼はにぎわったそうである。
 直進すると↑大日橋↑日光市ウォーキングトイレー歩多留庵という休憩所がある。大谷川にかかる立派なつり橋はチョッと不釣合いかなとも思うが、ここを渡ると市内である。
 ここからは川音を聞きながらの、しばし散策道となる。間もなく、(地元ではローリングダムと呼んでいる)大谷川の水を発電所に送るための大きな縁筒の水門がある。ローリングゲイトの橋を渡り、日光宇都宮道路の下をくぐったすぐ左側
に[84 大日霎貴碑]がある。かつて、安良沢小学校あたりにあったのをこの地に移したものである。
 明治の中頃まで、中禅寺への適は大谷川に沿い、浄光寺を経て犬日堂わきを通っていたと言う。明治21年(1888)細尾と日光駅間に牛車鉄道?が開通した。牽牛の無事を謝してこの石碑が建てられた。旧道の歴史を今に伝える石碑である。
 急勾配の坂を上ると国道121号線、中禅寺湖方面に向かって安良沢橋を渡ると、すぐ右手に、産子地蔵尊が配られている。、花や線番の絶えることがない。

 「あらさわのうぶこじぞう
       をねんずればりやくあらたかむ
                  びょうそくさい

と書かれてあるように、昔は、子どもが病気にかかったとか、夜泣きするとか、育ちが悪い時に、この地蔵尊にお願いすれば必ず治るという僑仰を集めていた。鉋この地蔵樽は、かつ'荒沢川の電車鉄橋の下に祀られていた。日光電気軌道が開通してからは鉄橋の下となってしまい、お参りする人も途絶えてしまった。
ところが、相次ぐ事故により、これは、地蔵尊の崇りだという噂が広がった。そこで昭和22年に現在の場所に堂を建て地蔵尊を祀ると、事故はそれ以後なくなったという。
 日光市内方面へ進み荒沢川を渡ると左岸、産子地蔵尊の対岸に、英文と和文で刻まれた
[86 英文の愛馬の碑]
の碑が建っている。確かに四行ほどの英文が刻まれている。

「此の街道を往来する駄馬の苦痛を見て、深甚なる同情心をおこされた英国人アンニー・シー・スリング夫人の記念として葱に此文字を石に刻し、旅客並びに馬子諸子の是等動物にいっそう親切ならんことを望む。大正二年十二月建之」

とある。
 大正初期、旅客や荷駄の使役に鞭打たれている馬を見て、同情心を起こした一英国女性の心を永く伝える碑である。

庚申塚について

まずは庚申塔物語から、入門してください。確かに日光には多い、庚申塔は、庚申信仰の産物であることに違いない。旧暦の場合は、通常の年に庚申のアタリ日(60日毎に回ってくる)が6回あるが、年によっては5回(5庚申)や7回(7庚申)のこともある。3年間に18回のアタリ日に庚申待を続けて行なうと、「一切ノ願望、此内ニ成就セヌト云う事ナシ・・・・」(大分県宇佐八幡蔵『庚申因縁記』)といわれ、三年一座(3年間に18回の庚申待を連続して行なう)を済ませて庚申供養のために石塔を造立した。この供養の石塔が庚申塔であるといわれている。
 庚申信仰は仏教と結びついた。そこで,庚申講が組織され,庚申塔の前身の庚申板碑が造立されだした。
 詳しくはよくは分からないが、「日光型」という独特の庚申塔があるそうである。


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