山野草 帰化植物

日光 山野草

        帰化植物植物とは●     今市市歴史民俗資料館発行「今市植物誌」から
ウォーキングの道すがらいっぱい咲く山野草の花、そのほとんどが外国から密かに持ち込まれ爆発的に成長した外国生まれの花ー帰化植物だという。在来種の野の花は少しになってしまっているという。

スポンサードリンク】
2渡来した年代
帰化植物の渡来は、農耕文化の発達によって大陸や南方言者島との交易が盛んになり、それに伴って多くの植物

が入ってきたことに始まる。しかし、外来植物が急増したのは明治維新に始まる日本の近代以降である。

日本のの帰化植物は渡来した時代により、大きく次の2つに分けられる。

;@旧帰化植物

ヨ本では、弥生時代の紀元前2〜3世紀には既にイネ、オオムギ、アワなどの作物の栽培が行われていたとされてい

る。これらの植物は日本の自生種ではなく、アジア人陸や南方諸島から入ってきたものである。

そして、これらの作物の種了と一緒に雑草の種子も随伴植物として入ってきた。

このようにして、江戸初期までの外来植物の大部分は農耕文化の発達と共に入ってきたもので、これららの植物群

は旧帰化植物といわれる。なお、弥生時代のような古い時代のものは史前帰化植物と呼ぶこともある。

これらの植物は主に畑や水田の雑草と呼ばれ、イヌタデ、スベリヒユ、ミミナグサ、ウシハコベ、トキンソウ、タカサブロ

ウ、スズメノトウガラシ、アゼナなど枚挙にいとまがない。しかし、これらの植物がいつ頃、どこの国から渡来してきた

かなどについて正確な文献はなく、明らかに帰化植物であるという証しがない。したがっって、このような植物は現在

では帰化植物として扱われていな。

 A新帰化植物

日本の植物学は永い間、薬用を目的とした本草学として存在したが、著しく発展したのは江戸中期以降である。この

頃になると、外来のものであることが文献上で確かめられるようになる。

江戸中期以降の文献などで渡来が実証されるものを新帰化植物と呼んでいる。

セイヨウタンポポ(キク科 ヨーロッパ)
明治維新後、日本の近代化は急速に進み、産業や都市が著しく発達し

た。その結果、それまでの農耕的な環境に広がっていた帰化植物に代

わり、都市的な環境に適応した帰化植物が多く観られるようになる。

 例えばヒメムカシヨモギ、セイヨウタンポポ、ブタクサ、アレチマツヨイグ

サ、セイタカァワダチソウなどはその代表である。

現在、帰化植物と呼ばれているものの大部分は、この「新帰化植物」を指している。

 B侵入・拡散経路

帰化植物がどのようにして入ってきたかについては、様々な要因が考えられる。外国からの船や飛行機、積み荷など

に雑草の種子が付着してきたもの、穀類や飼料の輸入に際して雑草の種子が混入されてきたもの、園芸植物や薬用

植物、牧草として輸入され各地で栽培されたものが逸出し野生化したもの、砂防用として輸入されたものが逃げ出して

広まったものなどである。

 なお、帰化植物は明治時代:から急に増加しており、このことは外国との貿易がこの時代から盛んになったことと深く関係している。

今市植物誌
★帰化植物とは
  帰化植物について

  1帰化植物とは

  2渡来した年代

  3侵入・拡散経路

  
4生育環境
山野草・花粉症
【スポンサードリンク】

スポンサードリンク】
歩きませんか日光〜TOP |杉並木公園周辺  |大谷川遊歩道周辺  |霧降高原と隠れ滝 |東照宮周辺  |戦場ヶ原(奥日光)周辺 
 今市植物誌  |ウォーキングはなぜいいの | 野岩鉄道の旅  甚平さんの山菜料理  |